「スマホやテレビなど画面を見すぎないように」と指導される一方で、学校から課されるタブレットを使う宿題。この矛盾に、わたしと同じようにモヤモヤしている保護者の方いませんか。日本と海外(セブ)両方の教育を見た結果、腑に落ちない気持ちと構造を整理しました。
入学時、あるいは年度のはじめに提出する「家庭環境調査票」。そこには決まって、テレビやゲーム、スマートフォンの使用時間を問う項目があります。「1日1〜2時間以内に留めましょう」という学校からの啓蒙。しかし、その手で配られるのは「キュビナ (Qubena)」や「Scholastic」といったデジタル教材のアカウントです。
「タブレットを見すぎるな」と「タブレットで勉強しろ」。この相対する指針に、わたしはどうしても拭えない違和感を抱いてしまいます。
1. 現場で起きている「奇妙な光景」
子どもが通っている日本の学校ではAIドリルのQubena、セブの学校ではScholasticを教材として使い(※全校ではありません)、自宅学習での利用を推奨されています。
- Qubena(キュビナ)
- 児童のミス傾向をAIが解析し、最適な問題を提示する日本発のAIドリル。
- Scholastic(スカラスティック)
- 世界最大級の出版社が提供する、英語の電子書籍とクイズで読解力を養うツール。
日本の場合は、文部科学省が進める「GIGAスクール構想」(児童生徒1人1台の端末と高速通信環境を整備する国策)の一環です。しかし、家庭に対しては「スクリーンタイムは短くしましょう」と指導。アクセルとブレーキを同時に踏むようなこの状況は、端から見れば奇妙な「ダブルスタンダード」ではないでしょうか。
2. 学校側の論理:なぜ「矛盾」が生まれるのか
もちろん、学校側にも言い分はあります。
- 「個別最適化」という魔法の杖:AIが一人ひとりのレベルに合わせる指導は、従来の「一斉授業」では不可能だった効率を実現します。
- 深刻なリソース不足:教員不足や先生方の働き方改革が叫ばれるなか、採点や集計の自動化、ペーパーレス化は、もはやそれなしでは学校運営が立ち行かないほどになっています。
つまり、教育的理想よりも先に組織としての「業務効率化」という現実的な要請が、タブレット導入を強力に後押ししている気がしてなりません。
3. 「学習ならOK」というロジックの危うさ
学校側は「学習目的だから娯楽とは別」と線引きをしますが、子どもの身体にとって、その区別は通用するのでしょうか。
- 物理的・脳的負荷:YouTubeを観るのも学習アプリを解くのも、発光体を見つめる物理的負荷は同じです。また、デジタル特有の過剰な情報量は「脳過労」を招き、記憶の定着や思考力の低下を招くリスクが指摘されています。
- 能動性の欠如:画面の指示に従うだけの「受動的な操作」に慣れすぎると、自発的な行動力が削がれる懸念があります。
- 自己管理の丸投げ:成長段階の子どもに対し「勉強道具なのだから、娯楽と使い分けろ」という高度な自制心を求めるのは、あまりに酷な話ではないでしょうか。
4. 誰のための「効率化」か?
ここで、デジタル教材のメリットとリスクを誰が担っているのか整理します。
- メリットの享受者:採点業務が減る教師、最新のICT教育を推進しているという実績を得る学校や行政、および市場を拡大する企業。
- リスクの引き受け手:視力低下、集中力の分散、思考の浅薄化といったリスクにさらされる子ども。そして、家庭で「あと何分よ!」「画面と顔が近すぎる!」とデバイス管理の重圧を背負う保護者。
「教育のDX化」という名の下で、効率化のツケが子どもたちの心身と家庭の負担にまわってきている感が否めません。
5. 結論:正解はない。だから、この「モヤモヤ」を抱え続ける
正直、わたしの中にも「最適解」はありません。紙に戻せば解決するほど単純な話ではないし、デジタル教材の恩恵をすべて捨てるのもまた、時代に逆行している気がします。
ただ一つ確かなのは、「教育の効率化」という大きな流れの中で、子どもの身体的なリスクや家庭の管理負担といった「不都合な事実」が置き去りにされている気がしてなりません。
わが家では紙の本の大量購入や図書館の利用など、ささやかな抵抗を試みています。使っていないタブレットがあったので、学習用と娯楽用と用途で2台に分け、娯楽用には時間制限を設けるなど、できる範囲で試行錯誤を繰り返しています。
便利さと共に出現した「ダブスタ」に疑問を抱き、親も思考停止に陥らないこと。割り切れない不審感を持ち続け、今のデジタル教育の濁流に安易に飲み込まれないように注意するのは、切実な願いを込めた小さな抵抗です。
