フィリピンに7年住んで、宗教欄に「Shinto」と書くことにした話

教会で座る女性の後ろ姿

セブで子どもの入学手続きをするたびに、いつもモヤることがあります。提出書類に必ずある「宗教欄」です。

神がいるか分からないと考えている人という意味の「Agnostic(不可知論者)」と、これまで記入してきました。特定の宗教を信じているわけではないし、かといって「atheist(無神論者)」というほど振り切ってもいない。消去法で選んだ答えでしたが、毎回どこかしっくりこない感覚がありました。

フィリピンに暮らしてトータル7年。その違和感の正体に、ようやく気がつきました。

「無宗教です」と言いながら、七五三に奔走する日本人ママ

冷静に振り返ると、わたしの宗教観は典型的な日本人のそれな気がします。

パワースポットが好きで神社を巡り、おばあちゃんちに行けばお仏壇に手を合わせ、クリスマスはケンタッキーフライドチキンと共に乾杯。お守りを持ってるし、風水も気になる。厄年にはしっかり厄除け祈願し、子どものお宮参りや七五三は家族総出の一大イベント。それでいて「宗教は?」と聞かれると反射的に「無宗教です」と答えてきました。

子どもが通うセブの私立小学校の多くはカトリック系で、校内にはチャペルがあります。フィリピン人家庭の多くは日曜の午前中必ず教会に行くそうで、宗教が日常生活に深く根付いているこの国で暮らしていると、「信仰とは何か」を度々考えるようになりました。翻って自分を見ると「無宗教」という言葉がますます疑問に思えてきました。

雅子さまを推しているうちに、天照大神に辿り着いた

事の発端は、定期的に訪れるセブいやいや期に皇室ゴシップで浮世トリップを試みたことでした。

皇室ネタを漁り続けているうちに、いつのまにか雅子さまの尊さに心を打たれ、気づけば「皇后さま推し」に。そしてある日、当たり前の事実に今さら気づいて一人打ち震えました。

天皇陛下は、神道の主宰者である——と。

学校で習ったはずですが、すっかり忘れていました。天皇家のご先祖は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)という太陽の神さまで、日本最強パワースポットの伊勢神宮に祀られているのもまさにその方。「推しの子ども(愛子さま)は神の末裔!」とパズルのピースがはまった感覚がしました。

ちなみに「天照大御神はイエス・キリストだったのではないか」や「イエス・キリストは密かに日本に渡り青森に墓がある」という説も好ましく、真偽はさておき、これらの話を知ったあとキリスト教に親近感が湧いたりもしました。

そもそも「神道」とは何なのか

あらためて神道を調べてみると、他の宗教とはかなり異なる存在だとわかりました。

バイブルのような教典がなく、特定の教祖もいません。森羅万象、あらゆるものに魂が宿るという「八百万(やおよろず)の神」の考え方が根底にあり、自然や先祖を敬うことがその本質とされています。

これを読んで、思いました。これ、日本人がふつうにやっていることでは?

日本の民族宗教といわれているそうで、あまりに日本人の暮らしにとけ込んでいて気づきませんでしたが、海外に暮らして自分が無宗教でないと思いあたりました。

「いただきます」「ごちそうさま」を言う。自然の美しさや雄大さに神々しさを覚える。神社に行くと神聖な気持ちになる。自然物に精霊や魂が宿っているような気がする。特別に信仰しているつもりはなくても、その精神性はすでに神道そのものなのかもしれません。

海外生活7年目で知る日本人の民族宗教「Shinto(神道)」

気づいてしまったら、もう「Agnostic」とは書けません。次に宗教を記入するとき、わたしは迷わず「Shinto」と書くつもりです。

「Shinto」の存在に気づいてからは、一人飯の際など忘れがちだった「いただきます」と「ごちそうさま」を必ず言うように改めて注意し、子どもの手本となるよう気を付けています。

ところが、子どもは絵本や動画で食物や自然物が擬人化されている様子を繰り返し見ていますので、八百万の考え方はバッチリ習得済みのようでした。